2009年05月30日

「日本のガラパゴス化問題」は市場の問題ではない(2)

(1)の話と全く同じではないですが、関連した話。
「日本人は、日本語を世界の公用語にする努力をすべきだし、現在事実上世界の公用語になっている英語についても日本語英語を生み出して行くべきだ」と思っています。

まず、ヴィトゲンシュタインによれば(って、最近やっとちょこっと分かっただけだから、引き合いに出すのは恥ずかしいのですが)、思考はメタレベルで言語習慣に規定されます。つまり、自らの言語を公用語化させることが出来た人間集団は他者に自らの思考習慣を押し付けることが出来るわけです(ちと暴論になっているのは認めますが)。また、そこまで考えなくても、ヒイヒイ言いながらやっと議論しようとしている人々に対して、実際に自分が自由自在に操れる言語を使って議論をするのはかなり有利です。また、自らの母国語の出版物などが全世界で読まれているほうが、思考方法についての浸透力は高くなります。
だから、日本語を公用語化するように努力すべきだし、それまでも、英語は日本人が使いやすいように変えていくべきだというのが僕の主張です。実際、今、日本人が学校で習っている「英語」は実は「米語」です。アメリカの方言ですね。


さて。ここ数年で、こんなことを経験したり見たりしました。

1)荻原健司が、テレビで「外国人はずるいですよ。日本人に不利になる、自分達に有利になる、そんなルール改正をするんですよ。」と言っていた。
※ 一スポーツ選手としての分には可哀想だと思う(僕自身、彼を応援しておりました)。が、彼は今国会議員。「僕、こんな風にがんばって、日本人に有利なルールに変えたんですよ!」って胸を張れる人がなるべき職業に彼が就いてしまって、日本の国会はこれで大丈夫なんだろうか?というのが今の僕の気持ちです。

2)「インターネットの共通語を日本語にするにはどうしたら良いか?」とmixiで書いたときに、誰もアイデアを出してくれなかった
※ 「インターネットは米軍のツールとして作られたものだから、英語で当たり前だ」というコメントもいただきましたが、ドイツで造られたはずの車の部品の名称、誰か5つ以上ドイツ語で言えますか?(ドイツ語の勉強をしている方は除きます) 「インターネットは米軍のツールとして作られたもの」という情報まではこのコメントの前でも情報として僕も共有しているわけで(パソコンにそこそこ興味があればおそらくかなりの方が知っている情報だと思います)、問題はそれが何かの行動やらアイデアやらを制限する材料足りえるか否か、ということ。「今、英語でやり取りしている外国人がわざわざ日本語の勉強をするメリットがないから日本語が公用語にならないんだ」というのが日本語が公用語にならない理由だと僕は思っていて、そこに開発のスタートが米軍だったということは影響しないと思っています。
このコメントをいただいた方のお人柄自体は尊敬しておりますので、申し添えておきます。大事なマイミクさんです。また、マイミクさんの仲間内でも人柄が尊敬を受けている方です。ただ、そういう方でも、「日本人としての常識的発想」から見るとそういうふうになるんだなぁ、と。

3)ブッシュ時代のアメリカが戦争をし続けていたことについて、mixiの某コミュで批判していたが、感情的なものだった
※ 細かい内容は忘れましたが、国際法にどのように反しているのか、全く説明ナシでした。「国際法に反していないけれども許せない」ということであれば、「国際法をどのように変えていくべきか?」と議論したら建設的ですよと書き込んだのですが、「だからここで批判しているのです」と。個人的な好みを主張することが国際法を立法・改正することになる、と、いうムードでした。もちろん、実際には国際法はこれでは変わりません。
立法では、「1)規範としての組み立て 2)立法過程を掌握→説得または脅す」の2段階が少なくとも必要です。ただし2)の過程で脅しを使ってしまうことは、「権力リソースを使ってしまう」ことにつながります(この表現は僕独自の表現なのかもしれませんが、簡単に言うと、従属者に無理をかけすぎると、反抗されてしまう、ってことです)。
規範としての組み立ての部分は、少なくとも、更に解釈論からの発展と、哲学レベルでの掘り起こしとがあります。
実はこれらは、国内立法でも必要なスキルです。国内立法でこれらの努力を国民がしてこないで、「官僚の発案→国会での立法」に任せっきりで自分で考えてこなかったため、ネット上での議論がただの気晴らしになってしまっている(無意味である)のだろうな、という気がしました。



え〜っと…、長くなったので、以上の羅列で。
posted by ベドウィン・ピエロ at 22:05| Comment(7) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 自分の良いようにルールを作って、それを押しつけるやり方はアングロ・サクソンの得意とするところですよね。生存競争に打ち勝つためには有利なのでしょうが、あまり好きな思考法ではありません。
 ところで、かつてのインターネットが英語一辺倒になっていた理由を述べるなら、インターネットはアメリカで生まれアメリカで育ったものだから、当初は英語の使用が明示的にせよ暗示的にせよ想定されていたから、だと自分は思います(だから、一昔前の日本人の ウェブサイトには "Sorry, Japanese Only" と書かれていることが多かったですよね)。
 単なるコンテンツの量と言うことであれば、スペイン語や中国語の台頭が著しい今、英語の比重は相対的に下がっていることと思います。
 しかし、政治、経済、科学、ジャーナリズム、スポーツなどの広範な分野で、国際的な コミュニケーションが英語のみを通じて行われるような場面が圧倒的に増えている現在、英語の公用語としての位置はなかなか揺るがないことでしょう。
 ぼくが春まで勤めていたドイツ資本の外資系企業の公用語は英語でしたよ。販売する印刷機のマニュアルもトレーニングも全部英語。
 まとめると、当初は英語の使用を想定されたインターネットが、世界規模のものに発展するにつれて、公用語としての英語を取り込んでいった、ということになると思います。
Posted by ヒサ at 2009年05月31日 23:29
>ヒサさん
すっかりお返事が遅くなってしまい、申し訳ありません。
で、せっかく書き込んでいただいたのですが…う〜ん、まさに「この状況をどう変えるか?」というその状況の解説を繰り返していただいただけ、という感じでして。
ここに危機感を持っているが座して死を待つので良い、ということなのか、死なずに済むと思っているのか、で話が違うのかもしれませんが。
それこそ、「他人はきっと自分を守ってくれる」なんてのは甘いと思っています。そもそも、日本人自体が周囲の諸民族を消し去ってきたわけですし。
Posted by ベドウィン・ピエロ at 2009年07月14日 23:19
「この状況をどう変えるか?」という部分に踏み込んだコメントがつかないのは、ベドさんの抱いている危機感に説得力が足りないからです。
僕は日本語を世界の公用語にする努力をするくらいなら、日本人が英語を学んだ方が数段リソースを有効活用できていると思います。要はベドさんの日本語公用語化論は、実現可能性がとてつもなく低いとしか感じられないのです。
Posted by ヒサ at 2009年07月15日 01:01
>ヒサさん
「危機感に説得力が足りない」の件ですが、「なぜ危機感を感じなければならない」のかが分からない、と言うことで良いでしょうか?
ヒサさんの後半部分では、「日本語を公用語化するよりも英語が公用語である流れに載ったほうが楽だ」という、論点とは別の話が出てきているので、話が見えにくいのですが…。

ちなみに、英語がフランス語に取って代わって、日本語が英語に取って代わらない理由をどのように考えていらっしゃいますでしょうか?
(僕としては、戦略的にさえ動けば、世界のいろんなシステムは300〜500年くらいの中期的なタイムスパンで充分に変わる可能性があるかと思っています。公用語であれば100〜150年くらいで充分に変わるかと思いますが、いかがでしょうか?)


と話を続けたいところではあるのですが、次にレスをつけさせていただくのがいつになるか正直見えないので、それでも良い、ということであればコメントいただけると嬉しいです。
Posted by ベドウィン・ピエロ at 2009年07月19日 23:37
この議論自体は興味深いので是非とも続けましょう。

「危機感に説得力が足りない」と私が感じるのは、一つ前のレスに書いたように「ベドさんの日本語公用語化論は、実現可能性がとてつもなく低いとしか感じられない」からです。だから一つ前のレスで、私は現在公用語である英語にリソースを割いた方が現実的だ、と書きました。
しかし、その次についたベドさんのレスを読むと、日本語公用語化について実現可能性が低いとは思っていないことが説明されます。私との意識の違いが大きく、そこで議論が齟齬をきたしていたことがわかりました。

「なぜ危機感を感じなければならない」のかについては、私自身の考えはあります。英語の公用語化が進むことで、国際的な場面に限らず日本のビジネスや高等教育の英語化が進むと思われます。生活言語としての日本語は生き残るでしょうが、難しいことを話す際は英語を使うと行った事態を招きかねません。これは日本語の国際的な地位の衰退をも必ず伴うでしょう。少なくとも、高等教育の英語化については、私は反対の立場をとりたいと思います。ただし、これと日本語の公用語化論には大きな距離があることに注意してください。

> 英語がフランス語に取って代わって、日本語が英語に取って代わらない理由
現代の英語の広範な使用を「英語帝国主義」と言うなら、日本語が英語に取って代わることは、「日本語帝国主義」を目指すと言うことになるでしょう。日本語が英語に取って代わるには、日本語帝国主義をとることがおそらく必須ですが、日本語が英語に取って代わらない理由は、未来に日本が日本語帝国主義をとらない場合、無数に考えられます。

そこで、一度英語帝国主義について整理しましょう。英語が(かつての共通語であった)フランス語に取って代わった経緯を述べるなら、大英帝国の発達(と衰退)と、その後のアメリカ主導のグローバリズムの進展によって英語は世界共通語としての地位を占めたと考えられます。
また、英語を含むヨーロッパ言語によって、近代の「論理」「議論」「科学」などが作られてきたわけなので、言葉の定義がはっきりとしていることも、日本語に比べて英語のアドバンテージとしてあげられるでしょう。たとえば英語は、後進国においては高等教育の為の言語としての地位を得ています。現に日本語も明治期にヨーロッパ言語を翻訳し取り入れたことで近代的な言語として現代成り立っているという経緯があります。
ベドさんのおっしゃる、100〜150年くらいで世界の公用語が変わるという発言には、こうした背景があると思います。

それでは、今後の世界についても同じこと(世界の公用語の転換)が起きるでしょうか。この点については私は判らないとしか言いようがありません。様々な可能性が考えられるでしょう。交通手段・情報テクノロジーの発達はめざましい進歩を続けています。100年と言わずもっと短いスパンでコミュニケーションの大転換が起きないとも限りません。あえて突飛なことを言うなら、高度な機械翻訳をAIにまかせる事が一般的になるとか、技術的な手法で言語の習得が飛躍的に容易になる、などという事もあるかもしれません。

英語帝国主義に抵抗するために、日本語帝国主義を“戦略的にとってゆく”ことが実現するかも知れません。ベドさんは日本国・日本人の利益のためにそうした方が良いという考えなのだと思います。
それでは、具体的な、“日本語が英語に取って代わる”ための施策の実現可能性について、ベドさんの意見をお聞かせ願えないでしょうか。
Posted by ヒサ at 2009年07月20日 16:01
>ヒサさん
すっかりお返事遅くなりました、

まず、僕の日記の主題は、簡単に言うと「日本人は自分でルールを作らずに小鳥の雛のように口をあけてルールと言う餌をもらえるのを待っているため、世界中から不利なルールを押し付けられるのは当たり前で、そのスタンスを変えないといけないということになり、その例として「英語が世界の公用語であることをひっくり返そうとする発想が無い」ということになります。
「啼かぬなら啼かしてみせようホトトギス」という川柳がありますが、僕はこの性格。日本語が世界の公用語でないことでのデメリットがあまりにも大きいから、ある言語が世界の公用語になるための条件を考えて、そこから必要な施策と時間を割り出します。
日本人の多くは「英語圏に生まれていれば、こんなに語学に苦しまなくて済んだのに」という思いを経験したことがあるのではないでしょうか? また、そういう経験をしていないのは、一部の英語が出来ることで日本のコミュニティ中で有利なポジションを得ている人たちなど、一部の人々だけではないでしょうか?
それにも関わらず、「なぜ英語は世界の公用語なのか? 日本語はどうやったら世界の公用語になれるのか?」と親権かつ真面目に考えたことが無いという人が少ないのではないか、そう思うのです(たとえば、新聞や「朝まで生テレビ」などで真剣に議論が戦わされたことを僕は見たことがありません(あったのかもしれませんが))。そこに相当不利な状況があるにも関わらず、改善策を誰も考えない。
いや、みんなして真面目に考えた結果、「中期的あるいは長期的に見て、コストの方がベネフィットよりも大きくなってしまうから、やっぱり諦めるべきだ」という感じになっているのなら「僕が馬鹿でした」ということになるのですが、そうは見えないのです。

ヒサさんが僕にしていただいた質問の件、僕なりに持っているアイデアはあるのですが、それを提示することで「だったら可能性があるから世界戦略としての日本語公用語化論に賛成するわ」では、(個人的には嬉しいけれども)僕が最初に提示した話をまさに立証してしまうだけの状況だと思うのですが、いかがでしょうか?

(次にお返事できるのは、また相当の期間が過ぎてからになってしまうかとは思うのですが…って、来週直接お会いしますよねぇ。)
Posted by ベドウィン at 2009年08月02日 00:30
> 僕が最初に提示した話をまさに立証してしまうだけの状況だと思うのですが
何をもってそのような論理の帰結になるのかよくわかりません。何を指しているのでしょうか。

ところで、僕がこの議論をしていてずっと感じている違和感が一つあります。日本語の公用語化がなった世界というのは、いまの英語が公用語となっている世界よりも世界の人々にとって不自由な世界なのではないかと言うことです。利益を得るのはたかだか一億数千万人の日本語を母語とする人々のみで、その他の圧倒的多数にとっては英語が日本語に置き換わってもメリットがありません。英語話者にとってはもちろんデメリットとなります。
もちろん、そんなことは承知の上で、多くの日本人の利益の為に日本語を世界の公用語にするのだという意見があってもいいと思いますが、世界に向けた『大義名分』が成り立たないように思うのです。

日本語を世界の公用語にすることを、どのように世界の人々に納得してもらい受容してもらうのか。そこがクリアにされない限り、日本語を世界の公用語にする論議は絵に描いた餅に過ぎないように感じます。

いまの日本の国力、国際社会に占める位置などを冷静に判断するなら、日本語を国連公用語にすることあたりから声を上げていくべきではないでしょうか。
Posted by ヒサ at 2009年08月02日 12:48
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