2009年08月02日

俳句って何なのか、分かるまでにかなり時間がかかった

皆様、こんばんは。
前回の日記を書いたときに全4話くらいで一気に書き上げようと思っていたのに結局力尽きたまま続きを書いていない駄目男でございます。
いや、全体を一回ワードで書いてそれを起こすとかしないと、とてもアップしていけないなぁ、と思ったりもしているのですが、とりあえず単純に時間がない、ということで。
ただ、主にナショナリズムの観点でしか見ていなかった、甘く見てもせいぜい社会統合について政治学原論的な分析しかしていなかった、「友愛」ってのを政策に落とし込むとどうなるかって考えてみたら、「あぁ、なるほど、だから自民党は右から左まで同居したのか」、「だから労働党が平等主義的に統治していた(あるいは、平等主義的な労働運動が力を持っていた)イギリスで新自由主義がいわゆる「イギリス病」の克服にプラスに働いたのに、日本では新自由主義は社会を破綻に追い込むことにしか役に立たなかったのか」なんて部分が見えてきて面白い状況になっています。何とか早く文章にしたいのですが、いつ完成することやら…。



さて、今日の本題です。
俳句というものを最初に知ったとき、「和歌をただ上の句だけで切ったもの」というイメージしかありませんでした。で、中学や高校で普通に国語の勉強をしていくうち、「なんで季語なんてものがあるんだろう?」と。
どうやら俳句というのは「綺麗な情景」を表現したいようだ、大学に入った頃でも、やっとその程度のイメージしか持っておりませんでした。まぁ、高校〜大学の頃は、和歌を作ったりするのは好きだったのですが、「17文字では何も伝えられない」と、俳句には全く興味がなかったので、イメージの持ちようも無かったのですけど。

ところで、僕の場合、芸術系のメインはもちろん歌(っていうか唄)。やっていうくちに「あぁ、芸術ってのは、世界観を伝えることに意味があるのだなぁ」と。だから、そこにある世界を伝える歌手よりも世界を作り出す作詞家や作曲家が偉いわけです。

つい最近、夫婦で川柳を作ってみていて(かみさんの結婚前の趣味に川柳を作るというのがありまして…僕も若い頃は和歌を作った時期はあるので、考えてみたら、似たもの夫婦なんですなぁ)、自分が作るものが川柳というより俳句に近いなぁ、と。もちろん、季語も使わないしちゃんと訓練していないから、俳句にはなっていないのですが、基本的に「情景を17文字で表現する」。17字しかないこともあって、主観を全く入れない。
芸術の意味が見えたときに多分俳句についても漠然と意味が見えていたとは思うのですが、この、夫婦で川柳を作っている最中に見えたのが「俳句とは、17文字で描く絵画であり、その絵画があらわす世界観がどのように伝わるかが芸術家の腕の見せ所であるという意味では絵筆で描いた絵画と違いが無い」ということ。絵筆で書いた絵画には一々文字で説明を入れませんよね。17文字の俳句で行うのもそれと同じで、ただ、更に絵ではなく17の文字だけを使う、と。

って、俳句を作ったことが無いので、あくまで推測なのですが、そんな感じで捉えているのであっておりますでしょうか?

※17文字、というのは、もちろんひらがなの場合。17文字というより17音ですね。
posted by ベドウィン・ピエロ at 00:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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